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Writer's pictureSachiko Wakita

言語と自意識

私は英語を話します。


最近英語を話す時の「感じ」が変わってきました。


以前から友人に「英語を話す時と日本語を話すときのアイデンティティが違うね」と言われていました。


私は英語を話す時と日本語を話すときのアイデンティティが変わらない人に憧れますw


幼少期にバイリンガルになった人はアイデンティティが変わらない傾向が高いそうです。

二十歳を過ぎてから話せるようになった私とは違います。



そういう私も冒頭で書いたように英語を話す時の「感じ」が変わってきました。


何が変わったかというと、


英語を話す時に自意識があるかないか。


英語を習得しようと頑張ってきた20年以上、私は英語をカッコ良く話そうと意識してきました。そしてそれは英語を話す技能を習得するうえでとても役に立ちました。



ですが、いざ人と話すときにも自意識がありました。



「私はいまどう思われているだろう?」

「こいつ馬鹿だなって思われてないかな?」



話しながらそんなことを考えていました。



正直に言うと、今もそうなるときがあります。(^_^;)



でも、最近はとてもリラックスして英語を話せるようになる回数が増えました。


こういうときは自意識がないような気がします。


ただただ、伝えたいことを伝える。


意図が「カッコ良く見せたい」から、純粋な「伝えたい」という思いに変わったときにそうなるのかな、と思いました。


コミュニケーションのベクトルを自分から相手に移すと良さそうです。


今ふと大好きな星野源の「SUN」の歌詞を思い出しました。


君の声を聞かせて

雲をよけ 世界照らすような

君の声を聞かせて

遠い場所も 雨の中も

すべては思いどおり


病床で十分すぎるほどに自分と対峙する時間があった星野源さん。

「自分とは十分に向き合った、これからは人の話が聞きたい」という思いからこの歌詞ができたそうです。


コミュニケーションのベクトルが相手に向いていますよね。


確かに相手の注意が十分にこちらに向いているとこちらも嬉しいものです。


これからも自意識を忘れる練習を続けていこうと思います。






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